星に願いを、月に祈りを

わたしがいつ何をしたか書いてあります

2017/06/07

理性<<<<<<感性

みたいな人間であったわたしは多少メンヘラチックになりながらも感情フルパワーで彼氏を愛した。1年前。生まれてこのかた、感覚に対する敏感さは誰にも負ける気がしなかった。感覚に寄り添うことに最大の価値を置いて生きていた。感性至上主義というかなんというか。そんな中、色々あって彼氏と別れた。

そして、1人になってからやっと、自分は、自分の感性ほどに理性を持ち合わせていなかったこと、そして感性だけでなく理性にも価値があり、わたしはそれを身につける必要性が大いにあること、を悟った。そこでわたしは、サークルに入る日をきっかけに、今度は逆に理性至上主義と言えるほど極端な態度をとりながらとりあえず1年間生きてみることをに決めた。

 

理性至上主義としての人生を歩み始めてすぐの私には、物事を論理的に捉え、思考し、語る人間が異常なほど輝いて見えた。自分と全くの別人種。わたしもその力を得たい、そうなりたいと憧れ、お得意の感性の働きに制限をかけつつ、自分なりにあらゆる場面で筋の通った言動を行うよう心がけ続けた。(この文脈に沿って考えると、サークルに入ってから惹かれた相手が悉く理学部の人間だったことも簡単に納得できる)

 

理性はすごい。それを持つ人間は流されない。自分の実存を支える骨組みが全てきちんと美しく組み立てられているから、動かない。倒れない。

 

理性至上主義になってから1年くらい経った今日、1年前からずっと憧れて追いかけ続けていた超論理的な思考偏重の先輩と会話した。すっごく笑えた。先輩は自分の論理の枠組みに縛られて身動きがとれていなかった。全てが論理によって形成された、完璧に秩序立った世界の中で先輩は生きていた。本当に立派な建築物だと思った。その強く大きく美しい建物の中で生きる先輩はすごくかっこ良かったけど、その絶対値の分だけ不器用でもあった。先輩はその建物から出る方法がわからないようだった。めちゃめちゃ笑えた。「感情に関する概念についての話題は禁止な、わかんねぇから。俺に何を求めているのか、抽象的でなく具体的に説明してくれ」ってセリフとか本当に愛しすぎて最高だった。

(思考偏重すぎて感覚のこと全然わかってなくてかわいい〜〜♡っていう可愛がり方めちゃめにゃマニアでは?) (必要のない文章)

 

とにかく、対等に会話をするどころか先輩の論理的矛盾点を指摘できたということは、私は自分が憧れてた先輩程度の論理的思考をできるようになったと捉えても差し支えはないだろう。したがって、論理性は技術であり、訓練することで誰にでも身につけることができるものだということだ。え、論理的であることって別にそんなすごくないやんけ(今更

それに対して感覚・感性というものは完全に経験に依拠するよなぁと実感。

 

てか先輩みたいな、目の前に起こる事象を全て論理的に解決しようとする姿勢が尋常なく強い人はこれからどうしたら感性や感情、感覚の部分を発達させることができるのか疑問だ。無理では?絶対男子校が要因に絡んでるよな。批判とかではなく事実として。

 

個人のことをすごく分析した文章だけどまぁいいか